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Aゾーン  静岡浅間神社と周辺


<静岡浅間神社>

賤機山麓に鎮座する神部神社、浅間神社、大歳御租神社の三社と境内社を総称して静岡浅間神社と呼ぷ。

神部神社:この鎮座は明らかではないが、延喜式内社で駿河の総社というところから、きわめて古いものとおもわれる。

浅間神社:富士新宮ともいわれ延喜元年(901)後醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間神社から勧請されたものである。

大歳御祖神社拝殿 浅間神社拝殿

大歳御祖神社:もとは奈吾屋社という延喜式内社で、往古の安倍の市の守護神として古くからあったものと思われる。

楼門

いずれの社殿も安永2年(1773)と天明8年(1788)の火災で焼失した。

ようやく復興に着手したのは、11代将軍家斉の文化元年(1804)で、一応の完成を見たのは慶応2年(1866)である。

楼閣造りの大拝殿は、浅間造りの代表的な豪壮な建築物。

神社の境内には初代静岡県知事関口隆吉の石碑、能を大成させ最後の舞台となった駿府の地で没した観阿弥(観世家の祖)の顕彰碑がある。

境内の静岡市文化財資料館にはこの神社の宝物類、賤機山古墳の出土品の他、山田長政奉納の戦艦図(写)なども展示されている。


<西草深公園>

徳川慶喜邸跡:慶応4年謹慎中に水戸から、駿府の宝台院に入り、その後、紺屋町の屋敷(現在の浮月楼)に移った。東海道線の建設に伴い、明治21年、西草深の家達邸の南側に移転した。

西草深公園 慶喜邸表門(徳川慶喜公伝より)

徳川家達邸跡:徳川慶喜の大政奉還により田安家から徳川宗家を継ぐ。明治元年駿河藩主で移住。

徳川家達(宝台院所蔵)


その後、城を出て、西草深の神職新宮兵部の屋敷に入る。

6歳で静岡藩知事。田安門は静岡市立高校に現存する。


この地には、県立静岡高校の前身である県立静岡尋常中学校が明治20年に移転してきたが、明治33年現在の長谷町に移り、この後は静岡師範学校女子部(静岡女子師範学校)になった。



万葉の碑:西草深公園の南東角に万葉の歌碑がある。もとは市内中心部にあったが移された。歌は安倍の市(古代の静岡の市)を詠ったものとして知られている。

「焼津辺にわが行しかば駿河なる 安倍の市道に逢ひし児らはも」(春日蔵首老 )


<東雲神社>

東雲神社は駿府城内にあった「東照宮」を移したものといわれている。

在りし日の東雲神社(小杉陽造氏撮影) 焼け残った赤門と狛犬

「東照宮」は明治三十三年に村内にあった八雲神社を合祀して「東雲神社」に改称した。

徳川家康公像 神社一帯の復元想像図

平成17年の不審火で焼失し、現在は赤門と狛犬のみが残っている。


<惣持院跡>

惣持院は静岡浅間神社の別当として創建されたが、明治初年の神仏分離令により廃寺となり、その跡地に西洋館と初代静岡県知事・関口隆吉の邸宅が建てられた。後にそれらも取り壊され、ここには「喜久屋」という料亭ができた。

解体中の料亭



しかし家屋の老朽化のため閉鎖し平成18年秋、解体された。


江戸初期に活躍した造園家小堀遠州が作庭したという惣持院の庭は、一部を除いて当時の庭園が保存されている。

跡地の利用は、まだ決まっていない。





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