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アカプルコ市と静岡市姉妹都市提携の提案

〜南蛮時計は、その歴史を見ていた〜

静岡市とアカプルコ市との歴史的結びつきは、濃厚な関係にあって、それは家康公の駿府大御所政治の大航海時代に幕を開けた。
私たちは、この経緯を久能山東照宮にある南蛮時計を証人に解き明かしていく。


<南蛮時計第1の証言〜大航海時代の幕開け〜>

コロンブスの碑(バルセロナ)

15世紀から16世紀にかけて、世界中の冒険者たちは「黄金の国ジャパング」を目指して七つの海に乗り出した。

日本では、ポルトガル人が 種子島に漂着し鉄砲を伝えたのを発端にオランダ、イギリス、スペイン等の南蛮船が渡来し最新技術と基督教をもたらした。



<南蛮時計第2の証言〜ドン・ロドリゲスの登場〜>

当時、大御所政治を繰り広げていた家康公は、駿府城を国際外交の表舞台とし、多くの外国人使節団と接見した。この中にスペイン人ドン・ロドリゲスがいた。


ロドリゲスは、当時メキシコ・アカプルコを拠点に太平洋に乗り出しピィリピン・マニラを占領してスペインのフィリピン臨時総督であった。


しかし、ロドリゲスは、メキシコへ帰途難破して日本に漂着してしまった。


<南蛮時計第3の証言〜大御所派墨使節〜>

この知らせを聞くと家康公は、ロドリゲスを駿府に呼び接見した。ここで家康公はスペインとの貿易を要求しスペイン人帰国の船の調達を約束した。
家康の顧問だったウイリアム・アダムスは、家康公の命を受け伊東市の海岸で120トンの西洋式帆船を日本人船大工を使って建造した。
1610年(慶長15年)8月、商人田中勝介以下22人の日本人とロドリゲスや難破したスペイン人船員を乗せた帆船は、日本の船として初めて太平洋を越え、メキシコ・アカプルコに入港した。この時使節団は家康の親書と献上品を、スペイン国王に提出した。

<南蛮時計第4の証言〜スペイン国王の使節来日〜>

家康公の親書を受け取ったスペイン国王は、1年後の1611年(慶長16年)、セバスチャン・ビスカイノを国王使節として日本に派遣した。駿府についたビスカイノは、スペイン国王の親書と数々の献上品を提出した。この中には、スペインの首都マドリッドから運ばれてきた時計があった。これが久能山東照宮に現存する南蛮時計である。
この時計はスペイン国王フェリーペ三世のお抱え時計師ハンスデエロバの製作になる傑作である。

スペイン王宮(マドリッド)


ビスカイノは、「ビスカイノ金銀島探検報告」の中で「駿府城は、世界でも巧妙なほど優れた名城である」と指摘し「駿府城の広さは、メキシコ市の住宅地全部の2倍以上だ」と書いている。

1492 コロンブス、アメリカ大陸発見
1542 徳川家康誕生
1543 種子島に鉄砲伝来
1549 宣教師フランシスコ・ザビエル来日

駿府キリシタン迫害はじまる(1549〜1560)
1562 豊臣秀吉、朝鮮侵略
1600 家康、ウイリアム・アダムスとの出会い
1606 家康、江戸に幕府開府
1607 駿府大御所政治(アダムスは外交顧問)
1609 ドン・ロドリゴ、駿府城で家康と接見
1610 大御所派墨使節メキシコへ
1611 スペイン国王使節引見(国王の時計が家康に献上される)
1611 オランダ国王使節と謁見
1613 イギリス国王使節と謁見
1614 伊達政宗の遣欧使節船に、家康は幕府の船奉行(向井将監正綱)を協力させる。支倉常長らメキシコ経由でローマへ。
1614 家康、キリシタン禁教令を制定
1616 徳川家康薨去


<南蛮時計第5の証言〜マッケンジー氏の提案〜>

静岡市役所本館の上部にそびえる2層の塔屋(ドーム)は、特色ある建築物で登録有形文化財で市民に親しまれている。この青いドーム建設の提案は、大正期から静岡市にきていた貿易商ジョセフ・マッケンジー氏だった。

マッケンジー氏夫妻(静岡市教育委員会蔵)

マッケンジー氏は、明治、大正期に日本茶の半分が輸出されていたという時代背景のなか、茶の貿易商として来日中で、静岡市高松の松林に、スペイン風の瀟洒な洋館を建てたことで知られている。

南蛮時計のスケッチ


高松の洋館は国登録有形文化財である。

市役所本館の設計者は、中村與資平氏(浜松市出身)であるが、ロマネスク風な建築を好み作品には半円ドームをのせた建物が多い。

南蛮時計のイメージが、ここに伝承したことは興味あることである。


このような「南蛮時計の証言」から私たち駿府静岡歴史楽会では、「静岡市とアカプルコ市の姉妹都市提携実現」を強く提案いたします。

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