ホーム | 駿府静岡歴史楽会 | 静岡市と家康公 | 駿府ブログ | 歴史楽会の歩み |
ホーム > 駿府繁盛記

駿府繁盛記

駿府の小判座

関が原の戦いに勝利をおさめて天下を握った徳川家康は、慶長6年(1601)金銀貨の鋳造をはじめた。
慶長小判および慶長一分金は、後藤庄三郎光次により最初江戸で鋳造されたが小判はのちに京都、駿府、佐渡でもつくられた。


日本銀行静岡支店 金座稲荷神社


後藤庄三郎光次は駿府本通町(上魚町)に宅地を賜りここで駿河小判を造った。当時は小判座とも呼ばれていた。
ただし、小判座はいつ始まりいつ終わったかは明らかでない。
庄三郎は家康の側近、金庫番として活躍し、渡海朱印状の発行の任にも当たり当時来日した外国人から財務長官と呼ばれた。

家康の死後、後藤庄三郎家は江戸に移り銀座をつくった。

後藤屋敷跡を中心とた上魚町は昭和3年、金座町と改称されたが、今ここには日本銀行静岡支店がある。

両替町通

慶長11年(1606)家康は、駿府両替町に銀座を設立した。丁銀と豆板銀の鋳造は伏見(のち京都に移転)に続いて2番目である。両替町の町名はここに金銀の両替屋が置かれたことに由来するという。

両替町通

慶長17年(1612)駿府銀座は短い使命を終え、江戸に移されたが東京銀座のルーツは両替町だったのである。

呉服町

静岡市の繁華街呉服町は、永禄年間本町と呼ばれ今川時代から駿府の中心街であった。

家康の駿府在城時、ここに城内の呉服のご用を勤める呉服師がいたことから、この町名がついた。
町には豪商が軒を連ね中でも友野家、松木家、大黒屋の3人の町年寄は駿府前期の町行政に大きな足跡を残した。

呉服町札の辻・大正中期
(郷土出版社「静岡市いまむかし」より)

呉服町のエピソード

繁華街呉服町のエピソードであるが、歌舞伎の「白浪五人男」の「浜松屋ニ場」は駿府の呉服町に起きた詐欺事件をヒントにしたという説がある。

江戸期の風俗考証にくわしい三田村鳶魚(1870〜1952)によると

「駿府に唐金屋幸右衛門という大繁盛の呉服屋があった。

ある日、供僧ら20人をつれた大寺らしい住職がきて「法要で江戸に下向する途中だが京都で用意したご進物に不足があり、ここで購入したい」と持ちかけた。
唐金屋では、上客とあって総出で接待したが巧妙なトリックでニ百五十両ほどの商品を騙し取られてしまった。

この詐欺事件は、江戸でも評判になり、豊田郡大池村(磐田市)の強盗事件と取混ぜて、芝居の「白浪五人男の浜松屋ニ場」が作られたという。」
(引用文献「家康と駿府城」静岡新聞社)
当時、隆盛を極めていた駿府呉服町らしい挿話である。

(引用文献「東海道駿府城下町」(上)・(下))

Copyright © 2006 駿府静岡歴史楽会